トラウマの場合も、沈黙は死——魂の死——に結びつく。沈黙はトラウマがもたらす救いようのない孤立を強める。
人は沈黙を守ることによって悲嘆や恐怖や羞恥心を制御できると思うかもしれないが、名前をつけることは、また別のかたちで制御する可能性を与えてくれる。
人は傷つけられたことがあったなら、自分に起こった出来事を認めて、それに名前をつけなければならない。(『身体はトラウマを記録する』 ベッセル・ヴァン・デア・コーク)
前記事のように私は自分の状態がトラウマを負っていると言い表すことができることにごく最近気がついた。暫く断っていた人間関係を少しだけ再開するなかで精神医学に触れる必要性を感じて本を読み始め、立て続けに虐待を受けた人と関わる機会が続いて、それでようやく自分の中のトラウマという言葉と自分自身の体験が結びついた。
原因の1つは10代の頃心療内科を受診した経験に由来する。担当の医者は私の話を聞いてある診断名をつけた。外での顔と家庭での顔を露骨に使い分ける親が関与していたのもありそもそもの経緯が正確に伝わらず、今から考えても明らかに不適当な診断名だったことが1つ。そうやって行動や状態を既存の診断名に落とし込み対応した薬を処方する作業そのものに疑問を感じたことが1つ。そしてその医者が柔和で話し上手で実際に相対的な評判も良かったことから、優秀な医者でも助けにはならないのだと感じたことが1つ。直に見たのはたかだか数名の医者だし、この世の医者が全てそんなものだと思った訳ではなかったけれども、元々医学に一定の興味があった思春期の私の中で精神医学はだいぶ色褪せたものとなった。この腑に落ちない感じそのものでは無いかもしれないが、ベッセルの以下の記述が私はとても印象深い。
“今でも覚えているが、私は彼にこう尋ねたことがある。「先生なら、この患者を何と呼びますか。統合失調症でしょうか、それとも統合失調感情障害でしょうか」。すると彼はひと呼吸置き、顎を撫でた。どうやら、思いに耽っているらしい。「私なら、マイケル・マッキンタイアと呼ぶと思うね」と彼は答えた。”
その頃は知らなかった言葉だが、いわゆる引き寄せの法則が働くことの懸念のようなものも1つの原因かもしれない。世界がどうであろうと自分さえ心を強くもって気丈に振舞っていれば何も問題にはならないといつも言い聞かせていたし、個人的な1つ目のターニングポイントまでは実際にパフォーマンス自体は発揮できていた(反動故かトラブルメーカーではあったが)。トラウマと化したポイント以降は明らかにそれ以前の自分と変わってしまった感覚があったものの、それでも自分を奮い立たせたり心の中で「大丈夫」「何も無い」とか唱えたりして、そうしていれば実際に完全な自分自身に重なっていることを取り戻せるという幻想にしがみついていた。
これそのものは幻想だったのかもしれないけれど、時に精神病患者が診断名を己のラベルやアイデンティティであるかのように羅列したり「こういう病気である」と完全に自己と同化した宿命であるかのように断言しきっている様子を見ると、それが喜ばしくない状態をより強めてしまうのではという懸念は今でも拭いきれない。
精神医学を忌避するようになった私は、例えば身体にフォーカスするようになった。心と身体の相関については知識は無いものの早くから認識はしていたので、首の凝りを治す本とか、身体感覚についての本に触れ書いてあることを実践した。これには一定の効果はあったようで、当時首を後ろに傾けるとシャリシャリと音がする状態だったのが、少なくとも音は鳴らないようになった。
またスピリチュアルに傾倒していた時期もあった。スピリチュアルというとカルトめいた怪しいイメージを抱いている人も多いようで実際に1,2歩引いた対応をされたこともあったけど、普遍性と真実性の濃いものを時間を掛けて吟味したつもりではある(とはいえ心が弱った状態であるということも確かなのだが)。考え方や意識で行動や引いては運命が変わるというのは認知行動療法にも近いところがあるし、神秘的で崇高な思想と文章に触れていると止まっていた伝達物質の働きが一時的に活性化される感覚はあった。
微々たる進歩や一時的な効果は見られたものの、しかし結局問題そのものが解決される感じはしなかった。身体については今も実践していることがあるし間違いなく不可欠な要素だと思う。スピリチュアルに関しては今後も何度も読み返したい本ができたし、集中して読んでみたい本もある。実際にインドに行って修行を積む人々を拝見させて頂きたいとも思うし、総じて人々から偏見が排されれば良いと思っている。
とはいえこれらは私の負ったものからは幾らか離れた所にあるもので、私は10代の頃の延長線上でその離れた所にある良性のものに限りなく重なることができたならば“誤った状態の自分”を終了させ問題は霧散するかもしれないと考えていたのだけれども、そういうわけにはいかなかったらしい。
あくまで現時点までの私の場合の話であり、中にはそういう多少焦点を外したものが変化を齎すケースもあるのかもしれない。そもそも振り返ると私は過去のことや親のことについて比較的落ち着いて考えられる環境・状態になったのがまだこの5年くらいで、それ以前にごく少数断片的に話を聞いてくれた人は居たものの、一応一通りの話を聞いてもらう機会が作れたのは3年前くらいだった。そのエピソードもより明瞭になっていくので今では最早古いものとなっている。
自分の身に起きた事も、それが与えた一連の影響についても早くから自覚し分析していながら、それらを命名するということを本当に不思議なほど私は行っていなかった。
体験と体験に根ざした感情、それらを記号化させ過ぎない程度に心や脳の問題として人や社会と共有する過程と手段の一切が蔑ろにされていては、流石に成立するものも成立し得まいと今は思う。