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出さない手紙を綴る

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手紙を出したことは想像以上に効果的だった。

恐らく多くの毒親育ちがそうであるように私も
「どうせ話が通じず双方ストレスを増大させて終わるだけなのだから無意味でしょ」
と自己完結していた一人だ。『毒になる親』を読まなければそうした行動に出ることは未来永劫なかったかもしれない。

実際、相手の反応に関しては完全にテンプレート通りだった。片方は表面的には謝罪しつつも(しかし本質的に何が問題なのか理解している様子では当然のようになく)、自分達がもう老齢であること、もう15年になります(いい加減目を覚ましなさい的なニュアンス)、とその大半は大変で可哀想な自分達の面倒を見てくれ、と言わんばかりの内容。
もう片方も似たような雰囲気で、かつ「優しさを持ってください」とマウント。あなたは子供だから親の気持ちが苦労が分からないのね、いい加減大人になりなさい、そして私達に優しくしなさい、ということだ。こちらのニーズについて多少なりと思いを巡らすような気配はそれまでと変わらず微塵も感じられなかった。

それでもスーザンの言う通り、親の行為とそれに対する自分の思い、そしてそれらが私に与えた影響などを直接に伝えるということは、例え伝わらなくとも大きな意味を持っていたようだ。罪悪感や恥の感覚は明らかに薄れ、それ以前よりも自分の意志を尊重できるようになり、それまでやったことのなかったことをいくつもやれたりもした。





私には、親と同等か、トラウマの度合いでいえばそれ以上に今現在も引き摺っている人物がいる。
最後に会話したのは15年以上前で、当時既にありとあらゆる思い込みの中で生きていた人だったので、十中八九今も建設的なコミュニケーションを取ることは不可能だろう。

こちらに関しては最早手紙を出してわざわざ接触するような馬鹿げたリスクを犯そうなどとは到底思わないけれど、彼によって抑圧した子供の頃の感情は私にとって無視できないものであるのも確かなことだ。社会的な問題が生じないのならば、今からでも殺しに行くか、もしくは二度と立てない身体にしてやりたいと度々思うくらいだ。

なので、本人がみることはないであろうこの場所に、出すことのない手紙を綴ることにする。

【以下のスーザンのテンプレートに愚直に従う】
1. あなたが私にしたこと
2. その時の私の気持ち
3. そのことが私の人生に与えた影響
4. 現在のあなたに望むこと





1. 
私が自然に、己の心と魂に従って私自身の為に生きていた場合、本来貴方は私と関わることのなかったであろう人物でした。己を強く殺して生きることを決めていたからこその出会いであり、結局のところ私が私の為に採択可能な唯一無二の選択肢は「親を棄てる」ということでした。私は少なくとも4歳の頃には直感的にそれを理解していたし、11歳の頃には直接的な経験をもってそれを痛感させられました。

それでもなお、子供の頃の私には0か100かの2択を冷徹に選ぶことができませんでした。

恐らくは親達もまた理不尽と非合理によって抑圧された被害者には違いないわけです。一旦は子育てから距離を置いて過去や自身とゆっくり向き合い、少しでも自分を取り戻して欲しかった。自分自身と繋がって、人生を楽しむ感覚を思い出して、そしてその先に、できることなら親として私と接して欲しかった。それが正しい順番だといつも考えていました。

そこに関しては最大限に気を遣い(とはいえことに10代前半頃の私の在り方は絵に描いたようなメサイアコンプレックスそのものだったかもしれませんが)、傾聴するとか自分の感情を出さないようにするとか物の見方について提案するとか、出過ぎた真似はしないように最大限に”努力”したつもりですが、いくら工夫を凝らしたところで根本にあるものを考えるとそれは結局「人を変えようとする行為」に他ならないわけです。
少しでも通じ合えたら良かったけれど、それが不可能であることはよくわかっていました。あの頃の私は、「私は親からの愛情を得られない」という確たる事実を受け容れることのできない子供でした。

大きな視点を持つならば、貴方の存在もそれを認識させる為のものだったのでしょう。「人を変えようとするな」と言いつつも、立場の弱い子供に偏った価値観と独善的な正義を無理矢理押し付ける貴方の矛盾した姿は、親に変わって欲しい思い故に不自然な立ち回りをする私と大きく重なっていました。きっと貴方がやるべきことも私のやるべきことも等しく、それは「自分の人生を生きること」でした。

初見の時点から自分とは合わない人物だと直感しつつも、一応一旦その直感を脇に置いて最低限その場の流れに従っていたつもりです。
しかし大抵の場合直感というものは正しいもののようです。ただの方針の押し付けに留まっている間は、私は特に否定することもなくそれをうまく躱していました。2回りは年下の子供のそうした小賢しさに気を害されたのか、世の中は理不尽だということを教える為の実践的な教育のつもりだったのか、己の物の見方を疑えない狭窄故だったのか、最終的に貴方は、何もやっていない私を状況証拠だけで「他者を害した幼稚な悪人」と決めつけ、手段を選ばず攻撃してくるようになりました。

それに対して私は我ながら、極めて理性的に対応したつもりです。

最低でも貴方を二度と立てなくなる程度に痛めつけ、あの村社会そのものでしかない施設を再建不能になるまで破壊するのが私にとっての自然な行動であったと思います。私には十分にそれを実行するだけの力がありました。

ならば何故実行に至らなかったのかといえば、問題は親の存在です。考えるどころか事実確認すらせずに大人(貴方)側の言うことを信じて同調し子供を責めてかかる私の親は、仮にそうした行動に出ていた場合、言うまでもなく更に苛烈に私を責めていたでしょう。「それだけの行動に出るには何か理由があるのかもしれない」などと冷静な視点を持つことはなく、いつも通りに子供の情けなさと不甲斐なさを嘆き、「育て方が悪かった」といつも通りに自省に見せかけた自己肯定と自己憐憫と他者否定を繰り返したことでしょう。

そういう彼らの問題を、警察をはじめとして、他の人々にも知らしめる立ち回りをすることになるのは明白でした。あの場には基本的にまともといえる大人がいなかったのです。自分の人生と向き合うことを放棄し、それによって累積させてきたであろう怒りや空虚さを子供への暴力と抑圧によって解消しようとする大人。そういう腐りきった大人達が支配するのがあの場所でした。真っ当に自分の身を守る為には、最早完全に外圧に頼るしかない状況でした。

私が行動に出ていた場合、貴方達はもちろんのこと、両親の問題点も白日の下に晒され、場合によっては方々から強く糾弾され、子供(私)とは引き離されることになったはずです。そもそもとして、「親を棄てること」を最適解だと直感した私が、それを極力回避するべくして立ち回った結果がその状態といえるわけです。そこに至って実質的に親を棄てる選択肢を取るならば早期にやっておけば良かったのです。

故に私は自分の限界を超えて理性の力を行使し、あらゆる感情と感覚を殺して事態を丸く収めようと努力しました。

けれど結局のところ、この時点でもやはり親を棄てるということが唯一無二の最適解でした。結局私は、11歳の時も、17歳の時も、1つしか正解のない選択肢に直面して、不正解を選び、少しでも正解に近づけようと無意味な努力をして消耗した結果、大人になってから改めて正答を選ぶことを余儀なくされたということになります。





2.
言うまでもなく、私は貴方に対して強い怒りと憎悪を抱いていました。貴方の中では前提として私が他人に暴力を働いたようなことになっているので、貴方はそれを「お前が悪い」と、正当化し私を攻撃し続けました。あらぬ嫌疑を掛けられていることに対しての怒りももちろんありました。しかし、仮に本当に私が”犯人”であったとして、貴方がそれを私刑に処す正当性はあったのでしょうか。そういったことについて、貴方はほんの少しでも考えたことがあったのでしょうか。

それ以前に、それは殺人とか強盗とか放火とかそういう次元とはかけ離れた子供同士の喧嘩に過ぎず、しかも仕掛けてきたのは相手側なのです。私は上手くいなしたわけですが、最低限やり返す権利すらあったのではないでしょうか。

いずれにしても、子供同士の小さなトラブルを貴方は妄想によって肥大化させ、そして本来強いて言うなら被害者側であるはずの私を手段を選ばず攻撃してきたのです。今に至っても、私が直接関わった中では最低最悪の醜悪かつ卑劣極まりない大人の見本でした。大の大人が、一方的な妄想で事実を歪め、その権力を最大限に活用し、周りの大人と子供を使って1年以上に渡って何のいわれもない子供を責め立て続けたのです。

私は恐らくこの頃はまだ、親に対して一定の幻想を抱いてもいました。悪い面でなく良い面だけを見ようと努力していました。そして学校等で関わる大人は、直接助けを求めるには足りなかったとはいえ、寧ろ模範ともいえる様な良い人も何人かはいました。

そういう私にとって、貴方のこの上なく幼稚な動向は、大人と、引いては世界に対する私の捉え方を黒色に染めるに充分でした。怒りと憎悪と失望と無気力に苛まれながらなんとか最低限の自分を保とうとする私に対して只々勢い任せに「お前が悪い」と私のネガティブさの理由すら捏造しデフォルメしてストレスを与え続けてくる貴方を、何度痛めつけ殺してやろうと考えたことでしょう。





3.
あの頃の影響から、15年以上が経過した今でも私は社会生活を送ることに関して大きな支障をきたしています。

元々私の中の計画としては、大学進学で家を出たタイミングで即座に大学を休学し、そこから最低でも1年程度は自分のそれまでのことを見つめなおしつつ身体と心を休めることにあてるつもりだったのです。
安全かつ静かな場所で1人になり、可能なら理解者と支援者を探して、自分が自分であることを確認して許す時間が必要であると強く実感していました。母の問題と、それを自分のものとして背負い込み過ぎた私が周囲に掛けた迷惑の数々と、私自身の心の満たされなさと。成長する為には、そういったものと向き合うゆっくりとした時間と場所が必要でした。

そして暴走した(本人としては痺れを切らし覚悟を決めた)父と、父によって雇われた貴方によって、私の予定は完全に破壊されてしまったわけです。

自分達にとって都合の良いストーリーを作り上げる両親と、それに共謀する貴方。私が私の為にやらなければならかったのはいわゆる闘争もしくは逃走で、しかし既に述べた通り、私は私の個人的な事情によってそれを選択することができませんでした。

結果として私は、今に至るまで貴方に対する強いトラウマを引き摺ってきています。





4.
当時私は貴方に「田舎に帰った方がいい」と言いました。恐らく貴方は子供の戯れ言として変換し真面目に受け取ろうとは微塵も考えなかったことでしょう。
この言葉も貴方が私に”攻撃”してくる故のささやかな反撃に過ぎず、いくら正しいことであっても、敢えてこちらから相手にとっての正解たりうることを押し付けるような真似は私はしないししていないつもりです。

とはいえ万が一、貴方が私に何か接触を図らんとするならば、どうしても私が何か言葉を発することをしなければならない状況があるとするならば、その時私が貴方に掛ける言葉は今も変わらず「田舎に帰った方がいい」あたりになるでしょう。無関係の他人を、それも子供に対して、大人の立場を利用して正義と暴力を押し付ける、その強い怒りの源泉と真摯に向き合うこと。それが貴方が世の中や他人、そして貴方自身の為にできる唯一無二の前向きで確からしい行いだと今でも私は思います。

尤もあの時点で話が通じなかった貴方に、そうした話ができる可能性は極めて低いというのもまた確かだと思います。そしてそもそも親と違って、貴方は本来私の人生には関わることのない、私の人生には必要のない赤の他人です。本当は「俺の時間を帰せ」と胸ぐらを掴みたいところですが、そんなことは言うまでもなく不可能なことです。

なのでもう二度と、私の人生には関与しないでください。私は10代の時間、特に学校においては他人に多くの迷惑を掛けました。私の家庭に端を発する問題に、無関係の生徒や教師を巻き込んでエネルギーを使わせてしまいました。ある意味、そうした皺寄せがあの場所だったという捉え方はできるでしょう。だからこそ、私はそこにおいては本当に人に迷惑を掛けないということを意識していました。なので今でも心の底からの自信を持って言えます。あの場所においては、私は貴方や貴方の周囲には、本当に何一つほんの少しも迷惑を掛けてはいません。(もちろん、人間関係の合う合わない等はあったでしょう。)もしも何か私に不満や不審を抱いたり今でも頭や心の片隅で執着しているのならば、それは十中八九貴方や貴方方自身の歪みです。己と向き合ってください。

そして、二度と私の視界に入らないでください。
貴方に望むのはそれだけです。





型・基準・規範・制限を一方的に押し付けられ続けた結果として、ごく最近まで私は人生を楽しむという人としての核を喪失していました。

親や貴方方と一応物理的な距離を取ることができてようやく1人になれた当初、辛うじて選択肢があったことを覚えています。内なる心臓の鼓動に従うか、怒りに身を任せるか、です。私は後者を選んでしまいました。あの頃の私は、絶対に話が通じない人たちと話がしたい、少しでも心を通わせたいという希望と幻想が捨てきれませんでした。

曲がりなりにもプラスマイナス0に近い状態に戻ってきた今、改めて私は、自分自身と今ある人生を楽しむことを、幸せであることを選択します。決して、その邪魔をさせはしません。

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