二名の専門家の記述を引用しておく。
トラウマとは“選択肢がない”状況の経験である。あなたが戦場で攻撃を受けた兵士なのか、虐待のある家庭で育った子どもなのか、あるいはひとりで道を歩いていて暴行を受けた女性なのか、そしてそこで起こったことが何なのか云々、ということは関係がない。
(『トラウマをヨーガで克服する』 デイヴィッド・エマーソン)
私はマクファーレンの研究から、一八八九年にピエール・ジャネが言った、「トラウマ性ストレスとは今このときを思う存分生きられない病気だ」という言葉を思い出した。
(『身体はトラウマを記録する』 ベッセル・ヴァン・デア・コーク)
これらを目にして、私は自分がトラウマを負った状態だといえる事に初めて気がついた。
トラウマという言葉は精神医学用語としてはごく一般に浸透していて、実際私も小学生か中学生の時には知っていたしある程度の説明ができたと思う。でもそれが自分に関係のある言葉だという認識は本当に最近までまるでなかった。DSMやICDの内容は時代と共に変遷していて、かつては今以上に出来事依存の側面が強かった。即ち基本として戦争, 事故, 災害, DV, レイプなどによる心の傷がトラウマだと私の中では永いこと認識されていた。
以前関わったある元被虐待者の台詞がよく思い出される。「私は大したことされてないから」と公的支援にも心理療法にも頼らず、加害者である母親とは離れたものの本人も「頼りない」という父親と2人暮らし。
確かに話を聞く限りでは殴る蹴るの暴力は多少あったものの、それ程苛烈という印象ではない。常習的な性加害とか命の危険がある暴力とか、比較してより凄惨な環境などいくらでもあると言ってしまえばそれは事実だと思う。しかし被害の苛烈さや程度は確かに1つの重要なファクターではあるかもしれないけれど、1つのファクターに過ぎないといえば過ぎない。当人や加害者の性格性向, 生まれ育った環境や身につけてきた価値観, 加害者との関係性, 頼れる家族や友人の有無, 職場や学校の環境, 経済力, 国と地域の文化, 時代背景などなど挙げればキリがなく、その組み合わせと結果によって出力される被害者の心理状態は最早パターン化できるようなものでは無いだろう。希望の取っ掛りを持てず死を仄めかしながらネットとODと売春に依存する彼女は、少なくとも私から見れば十分に助けが必要な人の1人に思えた。
彼女は自身に起こった事を虐待としてはっきりと認識しており、それについて私とも語り合った。それでも尚、この頃の私には自分がかつて虐待された子供である認識は一切無く、一連の心の傷が身体化して固着しているという知見がようやく理解されつつある程度だった。「少なくとも私から見れば十分に助けが必要な人の1人」は私自身のことでもあり、そしてそれを自覚していないという点でも彼女と私は恐らく共通しており、更に繰り返しになるが私は虐待に晒されたという認識すら無かった。
一因はやはり同じく一見した行為や状況の苛烈さにあったと思う。私も(幸運なことに)戦争や事故, 災害はもちろんのこと、明らかな性加害にあった訳でも無いし、命の危険を感じる程度の暴力に直接晒された訳でもない。ことに先述の通り古い時代のトラウマの定義は今以上に出来事要因に依存している度合いが大きかった印象で、それ故私も圧倒的な理不尽を被った感じをずっと拭いきれずにいるにも関わらず、それが個人的な努力や柔軟性の欠如によるもので、精神的な習熟や時間の経過や発想の転換によって改善可能であるという幻想をずっと捨てきれなかった。恐らく多くのアダルトチルドレンたる親を持つ子供がそうであるように、否定的な言葉を掛けられ続けたが故の自己肯定感の薄さも1つの要因であろう。「あなたは甘い」と言われ続け、10代の私は自分のありとあらゆる事を隈なく疑いきったと思う。
実際のところ派手さは無かったものの、まだまだ庇護が必要な年齢の頃、度重なる理不尽に晒される中「この人達といる限り一生人生をコントロールされ続けるだろう」と強く深く直感する程度の背景はあった訳だし、頻度は高くないものの身体的暴力に晒されていたのも事実だった。それに対して受け身でいることの危険を感じて独自で鍛錬し年齢相応以上の身体的頑強さを手に入れた結果、私の変化を察知した親が直接手を出してくることは無くなった、そういう経緯もあって問題が目立ちにくかったのもある。
物理的な傾向は弱まったものの暴力は罵倒するだとか人格否定だとか家族間の問題とストレスを一方的に押し付けるだとか精神的なハラスメントに転じて、その過程と結果の複雑さは余計に客観的な理解のされ難さに繋がってしまった。とはいえ私は言語化する能力も人一倍磨いたのでこれらの事は概ね10代前半の頃には説明しようと思えば可能ではあった。中にはこういう込み入った状況を理解してくれる人も居るかもしれないし、私の周りには少なくとも理解しようとし続けてくれた人が居たので、そういう点では全く不幸な訳ではなかったように思う。
もっとも結局理解そのものが得られた訳ではなかったし、そもそも理解を得たところで状況自体が改善できる訳ではない。子供をコントロールする事を当たり前だと骨の髄から認識している親は決して変わらないし、少なくともそこから数年以上は独り立ちすることも困難だった。
20代の頃、自身が慢性的に抱える生きづらさや違和感について繰り返し言語化していた表現がある。
「(私は)それが公園であれ飲食店であれ職場であれそこにただ自然に佇んでいるという状態を思い出し実行できているようになれば問題なく生きられると思う」
「自信のある自分自身と乖離している(解離ではなく)」
これらは正にベッセルのいう“今を生きられない病気”そのものだと思った。そして私は自分がそういう風に大きく変わってしまった2つのターニングポイントをよく覚えているのだけれども、それらはいずれもデイヴィッドのいう“選択肢がない”状況の経験に起因するものだった。
こうして自身の不調がトラウマと呼称できるということを、私はごく最近になって理解したのだった。